ごあいさつ
「文学」という言葉は、中国の古典『論語』にも見える古い言葉です。それは「徳行」「言語」「政事」と並んで、孔子の学園における4つの目標の1つとされました。そこでの「文学」とは、詩文など狭義の文学作品に限らず、文化の全般にわたる豊かな教養を指しました。
文学部では人間の文化、そしてそれを創り出した人間そのものについて探究します。その範囲は人間の知覚や思考から言語・社会・歴史まで、東西の古典から現代のサブカルチャーまで及びます。それら多様な研究対象に対し、実験・フィールドワーク・史資料分析などの専門的方法を駆使してアプローチし、最終年次にはその成果を卒業論文に結実させます。
文学部ではそれらの方法を、特に2年次以降、少人数による実習・演習により徹底して身につけます。それと同時に、1学科4コースのコンパクトな構成のもと、他分野の教員・学生と常に身近に接し合える環境も整っています。専門の殻に閉じこもっていては、視野が限定され、新しい発想は生まれません。かといって、いろいろな分野を摘み食いするだけでは、表面的になぞるばかりで、趣味の域を脱することができません。専門性と学際性の絶妙なバランスこそ、千葉大学文学部の特色の一つといえます。
大学での学びは、「何かについて知っている」ことを重視しません。そうではなく、大切なのは「何かについて知るためにはどうすればよいかを知っている」ことです。前者は情報であり、後者は方法です。現代ではメディアの発達により、情報へのアクセスは過去に比べ格段に容易になりましたが、その真偽や軽重を検証し鑑別する方法はまだまだ追いついていません。それどころか、ある意味では今日ほど「事実」への軽視が蔓延っている時代もないとさえいえます。ここに大学の責務の一端があります。
よく言われるように、文学部で学んだ内容は、すぐに何かの役に立つわけではありません。すぐに何かの役に立つものは、道具であって、方法ではありません。道具は、その目的に価値があるのであって、道具自体に価値はありません。しかし学問的方法は、それを身につけることによって、自身を取り巻く世界を論理的、批判的に捉え直すことが可能になるものであり、その価値は計り知れません。
この3年ほど、covid-19感染症の影響により、大学での学びも大きく様変わりしました。オンライン形式の授業や討論が拡充され、そのぶん面と向かっての交流の機会は減りました。これは学びの形が多様化し選択肢が増えたということであり、悪い面ばかりとは限りません。が、それと同時に、大学のもつ「場所」としての機能についても再考を促すこととなりました。大学には日本各地、さらには海外から、年齢も文化的背景も違うさまざま人々が集います。なかには「世のなかにこんなことを考えている人間がいたのか」と思うような、途轍もなくユニークな人もいて、そのような人との出会いが自分の人生に大きな影響を与えることもあります。近年、SNSや仮想空間のおかげで、人どうしの結びつく範囲は飛躍的に拡大しましたが、それでも大学における人間関係は、他に代えがたい特別なものです。幸い、このところ感染状況もようやく落ち着きを見せつつあります。文学部で学ぶみなさんには、文学部ならではの充実した大学生活を丸ごと体験して欲しいですし、われわれ教職員もその手助けをしたいと願っています。
文学部長 内山直樹