‘13 日本文化学科(現:日本・ユーラシア文化コース) Hさん, 私学(中高一貫校)教員
人生は選択の連続だと、人は言います。その選択に正解はありません。選択の後に気づきます。悔いがあるかないか。私の大学受験での選択は千葉大学文学部日本文化学科(現日本・ユーラシア文化コース)。卒業して、私学教員という立場を選択。結婚し、二児を出産し、育てるという選択。大学で選択したことすべてがつながって、今の自分があると確信しています。大学で得た仲間、素晴らしい先生方との出会い。大学生活の選択で私が得たものは、多角的なものの見方です。
大学一年生で抱いた不安が、その後の自分の選択肢を広げました。必修の日本文学関係の講義を熱心な態度で受ける友人とは対照的に、私は上辺だけの理解の日々。文学は好きなはずだったのに、皆と同じようには、文学そのものに入り込めない自分が、この学科で卒業できるのか。そんな不安を持ちながら受けたユーラシア言語文化論講座で、私は目が覚める思いをしました。ロシアの極寒地域にある先住民の生活を知るのは初めてでしたが「人の営みにはどこで生活していても共通するものがある」と、道がひらけた感覚があったのです。これが、私の追求したいものだ、と。
ひとつの考え方に留まっては新しい視点が得られないと気付いた私は、とにかく動き回り、多くの観点を得ました。中学校と高校の教員免許を取るために教育学部へ、学芸員資格を取るために史学科の実習へ、はたまた、サークル活動やアルバイトと学業とは関係ないところにも時間を使うという選択をしたため、私は瞬く間に大学四年生の春を迎えました。それまでに積み上げてきた「選択」のおかげで、私は、日本文化学科で学べる学問分野のほとんどと、教育的観点から見た国語としての文学について、知識を得ていました。一口に「知識を得る」と言っても、先生方に講義をしていただくものもあれば、三年生以上であればゼミ形式で自分が文献などで調べたことを発表するものもありました。どちらの形式も、授業や発表に向けて準備が必要だったため、文献を探し、自分なりに理解できるまで図書館に籠ったこともありました。もちろん、自分の学ぶべき文化についても、様々な学部学科の考え方を活かしながら深めていきました。そうは言っても、文化を専攻にすると決めてからお世話になった卒論担当の先生には、始終ご迷惑をおかけしていました。先生は私の話をとことん聞いてくださり、曖昧な卒論テーマを具体的な調査研究対象にまで導いてくださいました。そんな切り口もあるのか、こんな見方もできる…そういった気づきは、学問だけではなく日常生活にも取り入れられることが増えました。
大学時代の選択のおかげで、今、教員として、親としての私には、一つの物事を様々な立場、観点から見る力が備わったのではないかと改めて感じます。これからも何か選択すればするほど、その後の選択肢は広がり、その先の分岐は果てしなく続きます。現在の私の日々の選択が、今後どこでどう影響するか未だわかりません。しかしふと振り返ったときに、10年前の選択は間違っていなかったと自信が持てるよう努力を続けたいと思っています。私の人生の選択肢を広げる第一歩は、千葉大学文学部日本文化学科にありました。