学生による教員インタビュー

岡部嘉幸先生(日本・ユーラシア文化コース)

日本・ユーラシア文化コース・岡部嘉幸先生インタビュー

教員インタビュー:日本・ユーラシア文化コース 岡部嘉幸先生

学生委員:今期(2011年度後期)に受け持たれている授業と内容を教えてください。

岡部:まず現代日本語論bという授業をしています。これは講義形式の授業で、現代日本語文法について、みんなが知っているようなあるトピックを取り上げて詳しくお話しています。今年は格助詞について、その中の似たもの同士、例えば「学校〈へ〉行く」と「学校〈に〉行く」の違いについてや、ある格助詞がどんな時に使えてどんな時に使えないのか、という話をしています。もう一つは現代日本語演習bという演習形式の授業で、今年は文法に関する論文を読んで、内容をまとめてそこから疑問点やわからないところをまとめてもらう、という作業をしてもらっています。この授業の目的は二つあって、一つは日本・ユーラシア文化コースでは必須の論文を読むという作業に慣れてもらおうということと、もう一つは実際に日本語のデータを見てもらって問題を見つけてもらうということです。今年は前者の方に重点を置いています。他にも一年生向けの概説(日本語学概説b)や、日本・ユーラシア文化コース以外の人に向けて、更にわかりやすく文法についてお話する授業(日本語文法再入門)を開講しています。

学生委員:授業を受けるうえで、学生に求める態度はどのようなものでしょうか。

岡部:ともかく、当事者意識を持ってほしいということです。というのは、私が担当している現代日本語の文法は、常に触れているはずなんです。例えば、文学なら作品を読んだことがない、ということはあるかも知れないけれど、格助詞の「が」を使ったことがない、という人はいないと思うんですよ。なので、絶対に当事者として考えられるはずだし、そうしてほしいということですね。あとは、もっと授業中に発言してほしい。これは日文に限らず千葉大生全体に言える事かもしれないけれど、おとなしいなあ、と思います。でも皆色々考えてはいて、授業が終わった後にその考えを私に言いに来てくれる学生はいます。先輩の手前だからとか、全然詳しくないからとか、遠慮せずに積極的に発言してほしいですね。

 ただ、当事者意識ということに関して言うと、日本人だからこそ逆に意識せず疑問にも思わなくなってしまうことはあって、それを一回「それは常識なの?本当なの?」と返すことが仕事だと思っています。例えば英語でも古文の日本語でもいいのですが、現代日本語と異なる言語と現代日本語を対比させることによって、現代日本語で当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなくなるということがあるので、そうすることを心掛けています。

 あとは、もっと先生を攻撃して下さい。我々教員が言っていることは絶対ではなくて、特に言語というのは例外が多いから、もう少し批判的に「先生はこう言っていたけど、でもこういう例もあるよなあ」と考えてほしい。そしてその「でも」を大事にしてほしいです。

学生委員:ちなみに先生はなぜ文学部を選んだのでしょうか?

岡部:リアルなこと、例えば経済とか政治とかを勉強することに興味が持てなくて、言葉や文学について考えたり、陳腐だけど生きることってどういうことなのか考えたり、もともとそういう訳のわからないことに興味がありました。文学部に入って考えてればわかるようになるんじゃないかな、と期待していた面もあります。文学部が考えていることに答えはあってないようなものなんだけど、だからこそ面白いですね。

学生委員:なぜ現代日本語文法を専攻されたのですか?

岡部:これには明確なきっかけがあって、ある先生の授業がとても面白かったんです。私がいた大学は三年の時に進路(研究室)を決めるので、二年生の時に色々な先生がプレゼミのようなことをしてくれて、その中の日本語文法の先生の授業がとても面白かった。それは私が当たり前だと思っていることを「なぜ」と考えさせる授業で、私はその先生が投げかけてくる「なぜ」に答えられなかった。例えば「は」という助詞がありますよね。これは「私「は」大学生です」という主題を表す場合と、「リンゴ「は」食べるけどバナナ「は」食べない」という対比を表す二つがあって、じゃあ同じ「は」なのにこの二つの使い方があるのはなぜ、というようなことを考えました。その先生はそういう「なぜ」の答えを「これだからこう!」と、当時の私にとっては思いもよらない形で出してくれて、それがわくわくして面白くて、私もこれがやりたいなあと思った。そして、その先生の授業のレポートを提出したら褒められて「研究室に来い」と言われて、そのままその研究室に行きました。ただそもそも言葉にはとても興味があって、言語系で色々悩んではいました。

学生委員:千葉大学に来るまでの経緯を伺いたいです。

岡部:その先生に院への進学を勧められたこともあって、学部からそのまま院に進みました。これは悩んで覚悟を決めてのことで、そもそもは就活をしていて内定を頂いていたんですね。それもあったし、よく言われるのが「(研究職は)30歳になるまでまともな仕事はない」ということで、親にそのことを相談したら「ある程度は面倒見る」と言ってもらえて、それもきっかけの一つですかね。こういう、覚悟を決めるということはありましたけど、単純に勉強することが楽しくて、卒業論文があまり良いものが書けなかったから、もっと良いものを書いてやろう、と思ったのもあります。そして修士、博士と進んで、その大学で助手をやったり、別のところで留学生に日本語を教えたりして、今から五年前に千葉大学のポストに空きが出たので、応募して採用されて今に至ります。教えることは好きですが、研究者としてはまだまだ発展途上だと思っています。研究職に就くことは大変だし、今は空きが無くなってきているから更に大変だと思います。でもなんとかなるものですよ。ただちなみに、教職資格は生きる術として絶対に必要です。

学生委員:文学部、特に日本・ユーラシア文化コースはどのような人に向いていると思いますか。

岡部:文学部と聞くと、狭い意味での文学を意識されると思うんだけど、本当はやれることがたくさんあるんですよね。日本・ユーラシア文化コースでも、文学もあれば言語もあるし、ユーラシアという領域もある。文学部イコール文学だけではないということは強調しておきたいです。文学部に向いている人は、他人が気にもしないようなことが気になる人かな。特に日本・ユーラシア文化コースだったら例えば、そもそも日本文化ってあるのかとか、日本って何だとか、そういうことを「なぜ」と思える人が向いていると思いますね。

 言語で言えば、例えば「最近の若い人はなぜ「キモい」というのか」とか、そんなことが気になる人は是非日本・ユーラシア文化コースに来て下さい。これの答えはありますから。ただ私の答えも正解ではありません。こういう正解のないものを考えるところが文学部です。

ちなみに先生の答えとしては・・「キモい」は「気持ち悪い」という形容詞の略ですが、「気持ち悪い」には二つの意味があります。一つは、「ある人やモノが自分にとって不快な存在として評価される」という意味(たとえば、「あの人、気持ち悪い」)、もう一つは「自分の気分が悪い」(たとえば、「飲み過ぎて気持ち悪い」)という意味です。「キモい」はこの二つの意味のうちの前者に特化した形です(後者の意味で「キモい」は使えません。たとえば、「飲み過ぎてキモい」とは言えないですよね)。若者ことばには、語の意味を緩和したり、コミュニケーションを柔らかくしたりする効果があると思われますが、「気持ち悪い」という相手に対してネガティブな評価をする場合には、「気持ち悪い」という形よりは「キモい」という若者ことばを用いることで評価のネガティブさを緩めようとしているのではないでしょうか。それが「キモい」が多用される理由の一つではないかと思っています。学生の皆さんに聞いても、「おまえ、気持ち悪い」と言われたら立ち直れないが、「おまえ、キモい」ならまだ我慢できるという判断があるようですよ。 とのことです。)

学生委員:日本・ユーラシア文化コースに興味を持っている高校生に一言お願いします。

岡部:先ほども言ったように、一見すると細かなどうでも良いと思えることや答えの出なさそうなことを考えることが好きな人には合っていると思います。またグローバル化が進んでいると言われますが、外国のことを考える前にまずは日本のことを客観的に捉えなおす機会を持ってみても良いと思います。決して日本・ユーラシア文化コースは内向的で「日本は特殊だ」と思っているようなコースではなく、世界の中での日本を見ているコースなので、自国の文化のことを一回相対的に、自覚的に捉えることができるのではないでしょうか。

担当学生委員:河内与実

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