哲学専修・和泉ちえ先生インタビュー
教員インタビュー:行動科学コース 和泉ちえ先生
学生委員:先生はギリシア哲学がご専攻である、とお聞きしております。ギリシア哲学はどういうものなのか、教えてください。
和泉:ギリシア哲学一般を考える前に、踏まえてほしいことがあります。それは、日本におけるギリシア哲学の系譜です。日本におけるギリシア哲学の系譜は、東大からの系譜と、京大からの系譜とに大別できます。それら2つのどちらかの系譜・学閥の流儀を踏まえることが、ギリシア哲学だと思われています。これは、さまざまな問題をはらんでいます。ギリシア哲学は、本当は、幅広く、哲学・科学史・歴史的要素・文学的要素、これらの枠組みから、古典・クラシックスとしての総体的な姿が、初めて見えてきます。ユークリッドなどの科学的な文献も全部踏まえて、考察するのが、総合知としてのギリシア哲学のあり方です。その意味で、ギリシア哲学を考えるためには、まず明治以降の日本におけるバイアスを取り除くことが必要です。そして、ギリシア哲学それ自体が学問の生成場面に位置していて、哲学という枠組みよりも、クラシックスという枠組みで初めて見えてくるものです。いたずらに、哲学という枠組みに押し込んではいけないのです。その意味で、ギリシア哲学はまさに、今日の文理が分かれている状態に対し、一段高みに立った、より広がりのある総合的な知といえます。ギリシア哲学にとって、文理融合は当たり前のことですし、より根源的な学知のあり方が見て取れるのです。
学生委員:先生はギリシア哲学の中でも、プラトンがご専門であると、お聞きしております。詳しくお聞かせください。
和泉:プラトンとピュタゴラス学派との関係、当時の自然探究・数学的諸学科と哲学的領域と連関に興味があります。博士論文以降、特に注目しているのは、プラトンの思想の展開に見える、自然探究との相克、ピュタゴラス学派の数学的諸学科との出会いと展開、当時新しい学問方法論であった、エレア派のゼノン由来の、ディアレクティケー・哲学的問答法の受容と展開。紀元前5世紀から紀元前4世紀にかけての、アテネにおける、思想の生成過程を、丁寧に再構築することで、当時の学問の本質が見えてきます。
学生委員:担当なさっている授業の進め方について、教えてください。
和泉:千葉大に赴任してきて、何とか学生に関心を向けていただきたい、と思っていまして、まず、そのために必要なのは、語学的な訓練の場を提供することです。きっちりとテクストに向かい合う。古典と呼ばれているテクストは本当に数が限られていますから、せめて、残っているギリシア・ローマの古典文献に対する読解力と解釈の力を身に着けた学生さんになってもらいたい。普遍教育(所謂、教養展開科目)でも文学部でも、ギリシア語の授業は担当しています。
そのうえで、普通の一般的な講義としては、その全体的な学問の史的展開に関する見取り図を身に着けてもらいたい。そのために、日本の哲学者は歴史という分野に非常に懐疑的である人が多いのですが、その歴史的な見識を身に着けないと、本物の哲学的な考察は不可能であるというのは、これは一つの常識でもある。歴史的見識を身に着けるような、一般的な講義としての授業があります。それから、演習のほうでは、原典テクストを読む。大学院では、辞書なしで90分の講読を行いますし、学部においても、できるだけ原典テクストに触れるような授業を行います。特に、プラトンの『国家』は、欧米ですと、高校生の時に読んでしまうのが普通の事なので、1・2年生のうちに、原語であれ、日本語であれ、ちゃんと読み通して、読解して、討論するという機会となるような授業を展開します。なので、授業は、基本的には、古典語の習得、それに基づくテクスト読解と討論、歴史的見識を養うための一般的な講義の3つに分かれます。
学生委員:今在学している学生、未来に入学してくる受験生に対し、求めている態度・素質があれば、教えてください。
和泉:まず第一に、大学は入ることが目的ではなく、大学を出てから、今まで身に着けてきた教養をどのように展開していくかが重要なので、大学は通過地点にしか過ぎないということ、それは踏まえておく必要があります。だから、従来偏差値であるとか、そういったところで大学を選ぶ傾向にありますが、自分はなにを勉強したいのか、というところをきっちりと見定めてください。そして、大学に入ったらとにかく、労苦を惜しまないで、勉強してほしいと思います。大学生は、一に勉強、二に勉強ですからね。とにかく、学習の時間に集中してほしい。そのためには、図書館を活用して、しっかりと書物と向き合うということが、必要です。一人で本に向き合う、という時間が重要です。だからそのためには、単なる語学力ではない、言語能力というものをきっちりと身に着けなければいけない。昨今叫ばれているグループ学習というものも、私は懐疑的で、とにかく一人で、書物と向き合うということが重要。
それと後、日本の大学は単位制度なので、いろんな授業を取ることになると思いますが、それを踏まえたうえで、それらの学問が、相互にどのようにつながっているのかを考える総合的な視座を、常に意識しながら、勉強を進めていってほしいと思います。だから、前にも言いましたように、学問というのは深めれば深めるほど、全体像、他の学問の様子もおのずとわかってくる。文理融合は、あえて言わなくても、学問を深めれば、ひとりでに出てくる視点なので、そこを踏まえて、自分の学問が他の学問と、どのようにつながっているのかというのを、しっかりと考えるような、勉強の態度で臨んでほしい。
それから、あともう一つ言いたいことは、知識というのは、たくさん持っているのがいいとか、そういうことではない。ギリシア以来、教養に対する基本的な一つの視点ですが、教養を身に着けるということは、自分の言葉で、総合的な観点から、何が正しくて、何が間違っているか、きっちりと考えることができる人物になること。だから、日本語で「批判」というと、マイナスのニュアンスのある言葉ですが、自発的に批判精神を行使できる、そういう人間になるということが重要です。そのためには、授業では、ただ黙ってノートを取るだけじゃなくて、どんどん授業中質問をしていく態度、それから日常のいろんな場面においても、ギリシアならばディアレクティケー(哲学的問答法・弁証術)という概念ですが、自由にその場の空気をあえて読まずに、積極的に意見を交換するというのが重要ですね。自由な討論の場を増やしていくような学生さんになってほしい、そして、批判的な精神をきっちりと行使できるような、そのための言語能力・教養を身に着けてほしい。それが、当たり前の学生本来の姿ですし、グローバルな人間になるということでもあります。
担当学生委員:福原直生