社会人学生の入学体験記です。
「出会い」歴史学コース3年 Oさん(2018年入学)
私のように40年余り社会人生活を送り、これまでの人生に区切りをつけて入学を目指す人の目的は様々ですが、誰もが持っているものは学びたいという意欲ではないでしょうか。私もその気持ちだけはあったのですが、入学試験に臨む時点で、具体的に大学で何を学び研究したいかという明確な目標を持っていませんでした。あいまいな志望理由で入学した私ですが、大学には第2の人生を再スタートするに十分で豊饒な「出会い」があることをお伝えできればと思います。
研究テーマとの出会い
私は地質技術者だった社会人経験を活かせるのではないかという漠然とした想いから、入学当初、考古学を専攻とすることを念頭に、授業やゼミや野外実習を履修していました。そんな中、1年次の夏休み課題として選んだ図書に含まれる中世絵巻『一遍聖絵』の挿絵に衝撃を受けたのです。それは、入滅した師を追って入水自殺しようとする人とそれを押しとどめようとする人を描く緊迫した場面でした。しばらくして、美術史ゼミで先生の手許に届いたばかりの『一遍聖絵』解釈の最新本をお借りしたのをきっかけに、『一遍聖絵』の世界に魅了され、今では卒論テーマとして研究を進めることになりました。こうして夢中になれるものに出会えたのは、先生の後押しがあったことはもちろんですが、歴史学コース以外に用意された様々な分野の授業を好奇心のままに受講しアンテナを広げていたおかげではないかと思います。
人との出会い
大学では先生、社会人の仲間や先輩、若い同級生との出会いがあります。歴史学コースは卒業までに124単位の取得が必要で、社会人入学者は過去の単位を認定してもらうのが通例ですが、私の場合は「大学生活をもう一度楽しむ」という目的もあり、単位認定なしで臨みました。不安いっぱいで入学した私が、まず助けられたのが社会人の先輩との出会いです。履修登録、図書館や生協など学内施設やインターネットの利用方法、先生の授業情報など、学生生活を円滑に送ることができているのも先輩のおかげですし、それぞれの分野で社会経験を持つ方々との会話は新鮮でした。若い学生の中で孤立しがちな社会人が、元気に大学生活を送れるのは同じ境遇の仲間に出会えたからだと思います。
1年次の必修科目では、若い同級生に混じりスポーツ、英語、第2外国語を履修しました。彼ら彼女らとの授業での会話と議論、課外交流やスマホでの情報交換は、社会人生活の中では経験できないものです。また、頻繁に実施される試験やレポート課題は、評価され点数が付けられることに長く接していなかったので、プレッシャーでもあり刺激的でもあります。2年次以降は専門科目が増え、いよいよ卒論に向けた準備が始まります。同じ研究領域で同じ目的に向かうゼミ仲間からの指摘は、独善に陥りがちな研究姿勢を見直すきっかけをもらえます。
芥川龍之介が「運命は偶然よりも必然である」と述べているように、自分が求め手に入れた必然の「出会い」を楽しみながら学生生活を過ごしています。
これから社会人入試を目指す方々が、学問や人とのかけがえのない「出会い」に加え、遠い過去のものになってしまった胸がわくわくするような感覚に再び出会えますように。
歴史学コース2年 Mさん(2019年入学)
60才の定年を目前にした50代終盤、転勤の多い仕事でしたが自分なりに働き、子供を育て、老後のことを真剣に考え始めていた頃のことです。会社の同僚の多くは定年再雇用によりしばらく継続して働く道を選んでいましたが、私の場合、身の回りで「彼が」「彼も」というくらい続けて親しい同僚や友人を病気で失うということがありました。一度の人生好きなことをやってみたいという思いで、高校時代所属していた「歴史クラブ」の課外活動の頃から関心のあった歴史学の勉強を思い立ちました。
ネットで検索すると都内の多くの大学が社会人を対象にした聴講制度を開講しています。近隣では千葉大学の文学部が科目等履修生の制度で一般人を受入れていることがわかりました。研究テーマは「近世の農村社会」と決めていたので、定年退職後、初めの年は千葉大学の科目等履修生として近世史の講義、および佐倉市にある国立歴史民俗博物館が一般向けに開講している古文書講座を合わせて受講することにしました。勉強を進めるうち、古文書の読解は座学だけでは不十分で演習が必要なことをさとり、千葉大学文学部歴史学コースで11月中旬に実施される「社会人入試」を受験する決心を固めました。
後から述べますが、この際、学内の「社会人会」の学生の方々から様々な励ましのアドバイスをいただきました。折しも社会では、リカレント教育と言って就業を前提としたキャリアパスの一環として社会人の再教育が話題になっています。私の場合、自己実現とこれからの豊かな人生のためであって「社会人入試」の趣旨に反するのではないかと心配しました。けれども「社会人会」の皆さんの姿を見て不安は払拭されました。学ぶ意志が大事だと。
受験の準備は、先ず学務室にお邪魔して3年分の過去問を筆記させてもらい、論文対策の参考書を購入し論述のポイントを確認、高校の日本史と世界史の教科書を一通り通読しました。また新聞や一般雑誌に載る書評など歴史学の関連記事をできる限り読んで、簡単な要約と論点をノートに整理するようにしました。苦労もありましたが、「好きなこと」は我慢に耐えられるもので、こうして12月中旬、何とか若干名の募集に滑り込んで「社会人入試」に合格することができました。
文学部のカリキュラムは、コアと言われる普遍教育科目(教養科目)や文学部の共通基礎科目、専門科目などの基本単位を取得すれば、別途他学部の単位を取得することも許されています。理系学部の単位の取得も可能なことなど、総合大学の強みを生かして幅広い学習ができることが特徴です。勿論、過去に取得した他大学の単位も認定を受ければ単位として算入されますが、私は学務室の方のアドバイスもあって、体育科目や語学科目を履修してみました。体育ではソフトバレーを選択しましたが、若い同級生とチームを組んで総当たりのリーグ戦を戦ったことは本当に楽しい思い出となりました。また千葉大学独自開発のTOEICテスト対策のプログラムを受講しました。極めて実践的でさびついた英語力のブラッシュアップができ感謝しています。
文学部では、1年生から卒業論文執筆に直結する専門必修科目が設定されているのも一つの特徴です。歴史学コースでは、小クラスに分かれてE.H.カーの『歴史とは何か』の精読と討論があります。若い同級生を知る機会でもあり積極的に議論に参加しました。この時のカーの名言「歴史とは現在と過去の対話である」は、その後幾度となく学びの場面に登場し、その度にこの必修科目のことを思い出します。研究テーマに関わる近世文書の読解も、初めは「変体仮名」のバラエティの多さに苦労しましたが、最近はくずし字辞典を使うことにも慣れ、量を読むことで次第に自信がついてきています。こうして指導教官の下で通年開講される演習により段階的にテーマの掘り下げができるのも歴史学コースの魅力であると思います。
冒頭で「社会人会」を紹介しました。文学部の現役社会人学生を中心に他学部の社会人学生、OB、OGにより、例年2、3度懇親会を開催する他、折にふれ参集可能なメンバーで昼食時に情報交換を行っています。履修の悩みについては、あらゆるアドバイスを受けることができ、同世代の方も多く学生生活を送る上で役に立っています。是非仲間になって下さい。
さて、世の中を覆う「コロナ禍」は未だ先が見えません。災禍は弱い部分を照射し、大学の講義もいやおうなしにメディア授業となり、ここに来て対面授業との差異・得失が浮き彫りになって、学びの実効性が担保されているかが問われています。半年間は面食らいました。しかし、これからは教職員の方々と学生双方の知恵と工夫でこの困難を乗り越え、学びの場を維持しなければなりません。万人が脅威に晒されるような厄難は、必ず時代の変化をもたらします。つらいこともありますが、歴史を学ぶ者として、この時代の変化を冷静にしっかり観察し受けとめようと思います。
「コロナに負けるな!」進学を希望される社会人の方に、こんな時だからこそ自分の将来に目を向け目標をもってチャレンジするようエールを送ります。
歴史学コース4年 Kさん(2022年入学)
社会人入学前の私は定年後再雇用契約で会社員として働いていましたが、セカンド・キャリアでは知的好奇心の充足を優先して模索していたところ、千葉大学の社会人入学制度のホームページを見かけ興味を引かれました。40年以上昔の私は大学進学時に経営学を専攻しましたが、2度目の大学生活では歴史に関する知見を深めたいと考え、地元でもある千葉大学文学部人文学科歴史学コースの社会人特別選抜に挑みました。当時はコロナ禍ということもあって入学試験は小論文とリモート形式での面接となり、合格の手応えはまったくありませんでしたが幸い合格することができたため、ゼロベースのフレッシュな状態で学生生活をリスタートしようと決心しました。
千葉大学での1年目の大学生活ではまだコロナ禍の影響が残っており授業の半数がメディア形式で行われましたが、語学やスポーツなど普遍教育の授業や歴史学の必須授業は対面形式で行われたので、そこで歴史学コースや他学部・コースの若者たちとの面識を広げることもできました。若者たちの学問への真摯な取り組みや、大学生活を満喫している姿を近くで見ているだけでも良い刺激を得ることができました。2年目以降はコロナ禍も落ち着きを見せ、ほとんどの授業が対面で実施されるようになりました。社会人入学でも授業のカリキュラムは一般の新入生と全く同じであり、歴史学の研究方法について基礎から網羅的、体系的に学ぶことができました。語学についても必須であった英語はもちろん、フランス語、アラビア語、トルコ語についても学習する機会があったため、尻込みせずに取り組むように心がけました。
歴史学を中心とした専門教育科目の授業においては、それぞれの先生の専門分野に沿ってより深い内容で授業が進められますが、受講生の人数の多寡により密度は異なるものの可能な限り双方向でのコミュニケーションを基に授業が進められます。特に演習科目(いわゆるゼミ)の授業においては、専門書の輪読・精読や史料の読解といった演習が行われ、受講に当たっての予習、復習もそれなりのボリュームが求められます。そこでは先生たちの圧倒的な知識、経験を基に具体的・実践的な指導が行われるため、アカデミズムにおけるプロフェッショナルとは何かを目の当たりにすることができ、感動すら覚えることも多々あります。
私は卒業論文の研究テーマとして中世イスラーム史を扱うこととしました。これは社会人時代に実際に中東諸国へ出張し少なからずカルチャーショックを受けたことが影響しています。社会人入学の学生の場合日本史を専攻とする人がほとんどであり、外国史を専攻する人は少数派なのですが、幸い千葉大学ではイスラーム、中東関係の教授陣、カリキュラムが充実しているので、的確なアドバイスをいただきつつ卒業論文の執筆を進めています。結果的に社会人特別選抜を経て入学したことで4年間の学生生活という時間を得られ、歴史学を基礎から捉えるとともにじっくりと物事を考えることができたという点でとても良かったと感じています。
大学生活を快適に過ごすためには、授業の履修に関連するノウハウやIT環境の設定・操作などの細かい手続関係に関する情報共有やレクチャーが有益となりますが、社会人入学の学生にとっては上下の情報共有ネットワークを広げることが一般の学生と比較すると難しい部分があるかと思われます。この点について私の場合には同級生とのSNSで情報共有に加えて千葉大学社会人会に助けていただいています。千葉大学社会人会は文学部人文学科歴史学コースの社会人学生を中心としたコミュニティであり、在校中の社会人学生・院生の他OB・OGの卒業生も多数参加しており、昼休みの対面での情報交換や年数回の呑みニケーションに加えて、SNSでの情報交換、交流も活発に行われています。
社会人入学を希望される皆様におかれましては、進学に際して色々と不安を感じられるかと思いますが、実際に経験した身としては何も案ずることはないので積極的に挑戦されることをおすすめします。千葉大学の社会人学生に対する先生、同級生、学務室等関係者の皆様は非常にサポーティブであり、教室や図書館、ITシステムといった学内設備を中心とした学びのインフラも充実しています。また先にご紹介した社会人会といったコミュニティも存在します。もし社会人特別選抜(4年間コース)で入学されるのであれば、入学の段階で歴史学の専門分野が決まっている必然性はまったくなく、入学後に様々な授業を受講し多くの文献に触れるなかでご自身の問題関心を固めて行けば良いと思います。
昨今の世界は対立と分断が進みますます不確実性が高まる状況にありますが、そのような中では正しい歴史観をもって物事を捉えることがより重要であり、歴史研究の有益性は高まり続けるはずですので、社会人入学を希望される皆様の挑戦を心より応援させていただきます。
歴史学コース3年 Hさん(2023年入学)
大学での3つの出会い
入学の動機
大学卒業後、金融機関で働き毎日忙しい日々を送っていましたが、60歳を過ぎたころから定年退職後の生活を真剣に考えるようになりました。平均寿命が延びることによって退職後の人生は長くなり、それを充実したものにしたいと思うのは私だけではないと思います。私の場合、学生時代に読んだ、行商のかたわら旧石器を発見した相沢忠洋さんの『岩宿の発見』という本の印象が強く残っていたせいもあり考古学に惹かれていましたが、65歳からの2年間、京都で単身赴任生活を送る機会を得て、歴史的建造物である神社仏閣や国宝級の仏像等に触れることにより美術史や建築史に対する興味もわき、もし機会があれば、教科書で習った政治史や社会史中心の歴史だけではなく、幅広く歴史を学んでみたいと思うようになりました。
67歳の定年を半年先にして、できれば自宅から通勤ラッシュなく楽に通学できて、しかも社会人に幅広い歴史学習の機会を与えてくれる大学を探し始めました。大学院の場合は社会人に門戸を開いているところが多いものの、大学となると私の条件にあう大学はなかなか見つからず、半分あきらめかけていた9月上旬ころ、千葉大学の文学部歴史学コースに社会人選抜のあることがわかりました。急いで願書を取り寄せ、どうにか期限ぎりぎりに提出できたものの、事前準備もできないまま11月中旬の週末に単身赴任先の京都から戻り受験しました。試験は小論文と面接でしたが、社会人の自分がこの大学で何をやりたいのか、その動機や目的を自分なりに明確にして臨んだせいか、無事合格することができました。
大学での3つの出会い
入学して発見したのは大学には様々な出会いがあるということです。大学とは学問の場と同時に出会いの場であることを実感しています。ひとつ目の出会いは、同じ志をもって入学された社会人の方々との出会いです。社会人の会があることは、諸先輩の入学体験記で知っていましたが、それは単なる情報交換の集まりではありません。これまで私は会社という、ある意味、階級社会で長く働いてきましたが、この集まりは肩書もなく、まして年齢や学歴も年収等も全く関係のない千葉大学の社会人学生としてのフラットな人間関係を築ける非常に大切な場です。これほど、リラックスできる場所はこれまでありませんでした。ふたつ目の出会いは若い学生の方々との出会いです。孫ほど年の離れた学生の方々にとって我々社会人は接しにくい人々だと思います。いかにこちらから心を開いても打ち解けることは簡単ではありません。重要なのは自分のこれまでの輝かしい(笑)社会人での経歴を忘れ、自分たちも彼らと同じ千葉大学の学生であるという目線に立つということです。1年生のおわりに歴史学コース有志でボーリング大会+飲み会があり、私も老体に鞭打って参加しましたが、若い学生の方々との会話も弾み非常に楽しい時間を過ごせました。こちらから距離を縮める努力をすることで、話しかけてくれるようになり、また時には質問をしてくれるようになると、彼らとともに切磋琢磨していこうという意欲がわきます。そして最後になってしまいましたが、三つ目の出会いは先生方との出会いです。大学に入学できたからこそ専門の学識を持つ先生と接することができるのであり、私はこの機会を大切にしようと思っています。講義でわからないことはまず自分で調べ、それでもわからなければ質問する。かつての私の学生時代では、先生は雲の上の人であり話しかけるのも躊躇するような存在でした。しかし千葉大学では私の稚拙な質問に対しても、先生方は時間を割いて私に丁寧な回答を返してくださり、このことは歴史を学ぶうえで大きな励みであり強いモチベーションとなっています。
こういった出会いは大学に入ったからこそ経験できるものであり、私の人生を豊かなものにしてくれています。何のために大学に来て、何のために歴史を学んでいるのかを常に問いながら、楽しく充実した日々を送っています。